2009年11月4日 星期三

- 五輪書...

地之卷
兵法の道二天一流と号し数年鍛錬の事初めて書物に顕さんと思ふ、時寛永二十年十月上旬の頃九州肥後の地岩戸山に上り天を拝し観音を礼し仏前に向ひ、生国播磨の武士新免武蔵守藤原玄信歳つもって六十、我若年の昔より兵法の道に心をかけ十三にして初めて勝負を為す、其の間新当流有間喜兵衛と云ふ兵法者に打勝ち、十六歳にして但馬国秋山と云ふ兵法者に打勝つ、二十一歳にして都に上り天下の兵法者に会ひ数度の勝負を決すといへども勝利を得ざると云ふことなし、其後国々所々に至り諸流の兵法者に行逢ひ六十余度まで勝負をなすといへ共一度も其利を失はず、其程歳十三より二十八九までの事なり、我三十を越て過去を思ひ見るに兵法に至極にして勝にはあらず、おのづから道の器用有て天理をはなれざる故か、又は他法の兵法不足なる所にや、其後尚も深き道理を得んと朝鍛夕錬して見れば自を兵法の道に合ふ事我五十歳の頃なり、夫より以来は尋ね入べき道なくして光陰ををくる、兵法の理にまかせて諸芸諸能の道を学べば万事に於て我に師匠なし、今此書を作ると云へ共仏法儒道の古語をもからず、軍記軍法の古きことをも用ひず、此一流の見たて実の心を顕す事天
道と観世音を鏡として十月十日の夜寅の一天に筆をとって書初るもの也
夫兵法と云ふ事武家の法たり将たる者は取分け此法を行ひ卒たる者も此法を知るべき事なり、今世の中に兵法の道慥に弁えたると云ふ武士なし、先づ道を顕はしてあるは仏法として人を助くる道、又儒道として文の道を糺し医者として諸病を治する道、或は歌道者として和歌の道を教へ或は数寄者弓法者、其外諸芸諸能までも思いゝゝに稽古し、心々に好くもなり、兵法の道には好く人まれなり、先づ武士は文武二道と云ひて二つの道を嗜む事是道也、縦ひ此道不器用なりとも武士たるものは己れ々々が分際程は兵法をば勤むべき事なり、大形武士の思ふ心を忖るに武は只死ぬると云ふ事を覚ゆる程の儀なり、死する道に於ては武士ばかりに限らず、出家にても女にても百姓以下に至る迄義理を思ひ恥を思ひ死するばきを思ひ切る事は其差別なきものなり、武士の兵法を行ふ道は何事に於ても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の切合に勝ち、或は数人の戦に勝ち、主君の為め、名を揚け身を立んと思ふ、是れ兵法の徳を以てなり、又世の中に兵法の道を習ひても実の時の役には立つまじきと思ふ心あるべし、其儀に於ては何時にても役に立やう稽古し万事に至り役に立やうに教ふ事、是
兵法の実の道也.... 水之卷
兵法二天一流の心、水を本として利方の法を行ふにより之を水の巻として一流の太刀筋此書に書顕すものなり、此道何れも細やかに心の侭には書分がたし、仮令ひ詞は続かずと云とも理は自から聞ゆべし、此書に書つけたる処一ことゝゝに一字々々にして思案すべし、大人との勝負のやうに書付たる所なり共、万人と万人との合戦の理に心得大いに見立るところ肝要なり、此道に限って少しなりとも道を見違へ道の迷ひありては悪道におつる者なり、此書付ばかりを見ては兵法の道に及び難し、此書に書付たるを我身に取りての書付と心得、見ると思はず習ふと思はず、贋物にせずして即ち我剣より見出したる理にして常に其身になりて能々工夫すべし、
火之卷
二刀一流の兵法、戦の事を火に思ひ取って戦ふ、勝負の事を火の巻として此巻に書顕すなり、先づ世間の人毎に兵法の理を小さく思ひなして、或は指先にて手首五寸三寸の利をしり、或は扇を取て肱より先の先後の勝を弁へ、又は竹刀などにて僅かの早き利を覚え、手をきかせ習ひ、足をきかせ習ひ少しの利の早き所を専らとする事なり、我兵法に於て数度の勝負に一命をかけて打合ひ、生死二つの理を分け刀の道を覚え、敵の打太刀の強弱を知り、刀の刃胸の道をわきまへ、敵を打果す所の鍛錬を得るに、小さき事弱き事思ひよらざる所なり、ことに六具固めてなどの利に小さき事思ひ出ることにあらず、されば命をはかりの打あひに於て一人して五人十人とも戦ひ、其勝つ道をたしかにみること我道の兵法なり、然るによって一人して十人にかち、千人を以て万人に勝つ道理何の差別あらんや、よくゝゝ吟味あるべし、去ながら常々の稽古のとき千人万人をあつめて此道為習ふ事なる事にあらず、独り太刀をとっても其敵々の智略をはかり、敵の強弱手たてを知り、兵法の智徳を以て万人に勝つ所を極め、此道の達者となり、我兵法の直道世界に於て誰か得ん、又は何れか極めむと慥に思ひ取て、朝鍛夕錬して研きをほせて後独り自由を得、おのづから奇特を得、通力不思議有るところ是れ兵として法を行ふ息なり
風之卷
他の兵法の流々を書付け風の巻として此巻に著はす所なり、他流の道を知らずしては我一流の道慥に弁えがたし、他の兵法を尋ね見るに、大なる太刀を取て、強き事を専にして其業をなすなかれ、或は小太刀と云ひて、短き太刀を以て道を勤むるなかれ、或は太刀数多くたくみ、太刀の構を以て、表と云ひ奥と云ひて道を伝ゆる流もあり、是皆実の道にあらざる事此巻の奥に慥かに書顕し、善悪理非を知らするなり、我一流の道理各別の義なり、他の流は芸に渡て身すぎのためにして色をかざり花をさかせ、売物に拵えたるによって、実の道にあらざる事か、又世の中の兵法剣術ばかり小さく見立て、太刀を振り習ひ、身をきかせて、手のかゝる所を以て勝事を弁えたるものか、何れも慥かなる道にあらず、他流の不足あるところ、一々此書に書顕すなり、よくゝゝ吟味して、二刀一流の利をわきまゆるべきものなり
空之卷
空と云は物毎に形なき所、知れざる事を空と見立るなり、勿論空は空にして無なり、有る所を知りて無き所を知る、是空なり、世の中に於て惡敷く見れば、物を辨へざる處を空と見る處實の空にあらず、皆迷う心なり、此兵法の道に於ても武士として道を行うに士の法を知らざる空にはあらず、色々迷ひ有て詮方なき處を空と云なれども、是實の空にはあらざるなり、武士は兵法の道を慥かに覺え、其外武藝を能く覺え武士の行ふ道にも暗からず、心の迷ふ所なく、朝々時時に怠らず、心意二つの心を研き、觀見二つの眼を磨き、少しも曇り無く迷ひの空の晴たる所是れ實の空と知るべきなり、實の道を知らざる間は佛法によらず世法によらず、己れゝゝは慥か成る道と思ひ善き事と思へ共、心の直道よりして世の大がねに合せて見る時は其身其身の心贔負、其目ゝゝのひずみによる、實の道には背く物なり、其心を知て直に成る所を本とし、實の心を道として兵法を廣く行ひ、正敷明に大き成る所を思ひ取て、空を道とし道を空と見る所也
空有善無惡  智者有也 理者有也 道者有也 心者空也 正保二年五月十二日 新免武藏守玄信
-------------來源:http://www.artofwar.net/japan/gorinsho.htm

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